織田信長 天下布武の足掛かりとなった美濃平定戦

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美濃平定作戦

1547年
長年にわたって対立していた尾張と美濃は、信長と帰蝶(濃姫)の婚姻によって和睦を結び、一時の平和が訪れたのでした。

しかし、1556年に美濃の斎藤道三が「長良川の戦い」で息子・義龍(よしたつ)に討ち取られてしまったことで、両国の関係は崩れていったのです。

父・斎藤道三を討ち取った斎藤義龍は、5年後に急死してしまいます。
それは、織田信長が駿河の大国・今川に「桶狭間の戦い」で大勝利を治めた1年後でした。

美濃国では、義龍の子・龍興(たつおき)が新たな当主となります。
この時の龍興の年齢は、14歳または16歳とも言われています。

1563年
美濃を織田の領地にすることは、信長の父・信秀の悲願でもありました。

齋藤義龍が急死は、信長にとって絶好の機会が訪れたといえます。

早速、あらゆる手を使って美濃侵攻を試みた織田信長。

しかし、斎藤家重臣の美濃三人衆(氏家卜全、稲葉一鉄、安藤守就)と竹中半兵衛によって、ことごとく阻まれて突破口を見いだせないでいたのです。

そこに追い打ちをかけるように、中美濃の抑えを担っていた織田一族の犬山城城主・織田信清が、突然反旗をひるがえして齋藤家についてしまったのです。

犬山城は、美濃から攻められたときの重要な防衛拠点だっただけに、これまでとは大きく異なる戦略を求められる事となりました。

美濃戦略評定
1563年 信長の居城・清須城で美濃戦略の評定が開かれました。

その評定には、織田家の重臣が勢揃いしていました。

信長を待つ一同は、犬山城城主・織田信清の突然の寝返りもあり、皆険しい表情をしていて重苦しい空気が一帯を漂っていました。

信長が評定に姿を現すと、広間の空気が一気に張りつめたのです。

織田信長
「美濃を我が領土にするのは、父・信秀からの悲願だったのは、知っているな。」

「マムシ(道三)殿も息子の義龍に譲るくらいなら、儂に任せたいとも言っていた。」

「今の美濃・当主は、小僧の龍興だ。」

「この機会を逃したら、美濃を手に入れるのはいつになるかわからん!」

「誰か、美濃侵略の良い案を持っているものはいないか?」

柴田勝家
「殿、これまで通り西美濃を中心に攻めていきましょう。」

「中美濃の織田信秀など、西美濃攻めが落ち着いたら儂が一気に攻め落としてくれます。」

丹羽長秀
「殿、中美濃は齋藤家にとっても織田家にとっても重要な拠点と言えます。」

「まずは、全軍で織田信清が籠る犬山城を攻めて奪還するべきです。」

「事を急げば、足元をすくわれてしまいます。」

柴田勝家
「臆病な織田信清など、放っておいて一刻も早く龍興のいる稲葉山城を攻めるべきです。」

丹羽長秀
「お前のイノシシのような考えで、どれだけ多くの兵が亡くなっていると思っているんだ!」

柴田勝家
「腰抜けのお前になんか言われたくないわ!」

織田信長
「黙れ! もうよい。」

「他に儂を驚かすような考えを持ったものはいないか?」

重臣たち
「・・・・・・」

木下藤吉郎(羽柴秀吉・豊臣秀吉)
「あのー、よろしいでしょうか?」

皆が振り向くと、広間の外の庭に小さな男が座っていました。

評定に参加していた多くの重臣は、怪訝な表情で庭にいる小さな男を見たのでした。

佐々成政
「おいっ! ここは、お前が入れるようなところではない。」

「立場をわきまえろ。 今すぐ此処から出ていけ!」
広間の隅にいた佐々成政が怒鳴って、藤吉郎を追い払おうとしたのです。

織田信長
「成政、大丈夫だ。」

「このサルみたいな奴を此処に呼んだのは儂だ。」

「こいつは、常人では思いつかない面白い発想をするから良く聞いておけ。」

「話してみろサル。」

木下藤吉郎(羽柴秀吉・豊臣秀吉)
「では、広間に用意しました絵図をご覧ください。」

「織田信清殿がいる犬山城は、西から侵攻してくる敵国の防衛拠点になります。」

「また、中美濃を監視するという大事な役割を担っています。」

「今回、織田信清殿が寝返ってくれたことによって、見えなかったものがハッキリと見えたのです。」

「美濃を攻める道筋がハッキリしたのです。」

柴田勝家
「ええい、まわりくどい! 具体的に早く話せ。」

木下藤吉郎(羽柴秀吉・豊臣秀吉)
「はい、申し訳ありません。」

「我々は、まずは犬山城を急ぎ攻略します。」

「続いて、木曽川沿いを北に向かって進軍していきます。」

「この先にある鵜沼(うぬま)城、猿啄(さるばみ)城を攻略したら、中美濃の加茂野(かもの)方面に向かいます。」

丹羽長秀
「それでは、斎藤家の本拠地である稲葉山城に行くには遠くないか?」

木下藤吉郎(羽柴秀吉・豊臣秀吉)
「確かにそうでございます。」

「この作戦は、稲葉山を攻めることが目的ではございません。」

柴田勝家
「バカか、お前は! 本拠地を攻めないで美濃を取れるわけがないだろ。」

織田信長
「勝家、最後まで話を聞け!」

柴田勝家
「すみません。」

木下藤吉郎(羽柴秀吉・豊臣秀吉)
「では、続きをお話します。」

「中美濃の加茂野に向かった我々は、堂洞(どうほら)城、加治田(かじた)城なども攻略していきます。」

「そして、中美濃を抑えることで稲葉山城のある西美濃、信濃と隣接する東美濃を分断することが出来ます。」

丹羽長秀
「なるほど! 殿、これは実に面白い作戦ですね。」

織田信長
「長秀、お前もそう思うか。」

「儂は、この話を聞いたとき思わず笑ってしまったわ。」

「これが成功すれば、稲葉山城を攻めなくても齋藤家の力を大きく削ぐことができる。」

丹羽長秀
「確かに稲葉山を直接攻めるより時間が掛かりますが、斎藤家の求心力を確実に下げることが出来ますね。

「最後の稲葉山攻めるにしても兵力を失わなくてすみそうです。」

織田信長
「皆の者、よいな。」

「今、サルが話した作戦を決行する。」

柴田勝家
「殿、ちょっと待ってください。」

「ここ(清須城)から中美濃まで直接行くには距離がありすぎませんか?」

織田信長
「確かにそうかもしれん。」

「勝家、お前ならどうする?」

柴田勝家
「私ならここ(清須城)と犬山城の中間にある小牧山に城を築いて、そこを拠点にしてはどうかと考えます。」

織田信長
「それは良い案じゃないか。」

「小牧山に急いで城を築くように人を動員するのだ。」

「この作戦がバレてしまっては、元もこうもない。」

「勝家は、引き続き犬山城と信清の動向を監視してくれ。」

「(佐久間)信盛は、西美濃方面で不穏な動きがないか探ってくれ。」

「では、今日の評定はココまで!」

織田信長は、小牧山城の築城を急がせました。
城が完成すると直ぐに本拠地を清須城から小牧山城に移したのでした。

従来であれば、本拠地を移すことは中々しませんが、そういう所にこだわらない早い行動が信長の勢力拡大に繋がったのかもしれません。

竹中半兵衛の夜襲
1564年2月6日  夜半
突然、稲葉山城の城内が騒がしくなりました。

斎藤龍興
「おい! こんな夜遅くに何事だ?」

側近
「織田軍が、稲葉山城に夜襲をかけてきたとの報せが入りました。」

「殿、私どもで護衛をいたしますので直ぐに城から脱出してください。」

斎藤龍興
「なにっ! 織田軍だと?! 織田軍が美濃に入ったのを誰も知らなかったのか?」

「まあ、よいわ。 すぐに城を出るぞ。」

この夜襲は、織田軍によるものではありませんでした。
斎藤家に仕えていた竹中半兵衛によるクーデターだったのです。

斎藤龍興は、酒色に溺れて政(まつりごと)を放棄していたため、家臣たちの指揮は落ちるばかりでした。

そんな斎藤龍興の目を覚まそうとした竹中半兵衛は、驚きの方法で城を乗っ取ってしまうのです。

ある夜、竹中半兵衛はわずかな家臣を伴って人質となっていた弟の見舞いと偽って稲葉山城に入ります。

入城に成功した竹中半兵衛たちは、隠していた甲冑に着替えて
「織田が攻めてきたぞー!」と城内で騒ぎ始めたのです。

突然の襲撃に城内は大混乱となり、龍興だけでなく多くの兵が城外に逃げてしまったのでした。

それによって竹中半兵衛は、わずかな手勢で稲葉山城を奪取したのです。

これを聞いた織田信長は、竹中半兵衛に
「美濃国を半分与えるので、稲葉山城を譲るように。」
と交渉します。

しかし、これを断ってしまうのです。

稲葉山城を奪ってから半年後、竹中半兵衛は斎藤龍興に城を返してしまいました。

それからしばらくの間は、政(まつりごと)を離れて静かに暮らしたのです。

竹中半兵衛が、羽柴秀吉の軍師として再び表舞台に出て活躍するのは、もう少し後のことです。

美濃侵攻

犬山城包囲
1564年8月 小牧山城

織田信長
「皆の者、予定通り明日から中美濃を侵攻する。」

「まずは、総勢1万の軍で織田信清のいる犬山城を包囲して兵糧攻めにする。」

「犬山城を奪還したら、中美濃へ進軍だ。」

「これは時間との勝負だ。 相手が動く前に先手を打つ。」

「では、皆の者。 出陣じゃー!」

家臣たち
「おーっ!」

織田信長を総大将として、丹羽長秀、森可成、池田恒興など総勢1万で小牧山を出立した織田軍。

犬山城を包囲すると、全ての路を封鎖した徹底的な兵糧攻めにはいります。

負けが明らかになったことを知った織田信清は、犬山城を僅かなものと密かに逃亡したのでした。

その後、犬山城に残っている兵たちは降参して織田軍に城を明け渡しました。

信長は、犬山城に森可成と池田恒興の隊を残して守りを固めて、中美濃に向けて侵攻したのです。

中美濃へ侵攻
1565年
中美濃に侵攻した織田軍は、木曽川を越えた先にある伊木山に砦を築き、そこを拠点とします。

織田信長
「ここから隊を分けて、中美濃にある城を一斉に攻め落とす。」

「まずは、秀吉! お前には鵜沼城攻略を任せた。」

「(丹羽)長秀と(佐々)成政は、6千の兵で猿啄城攻略するのだ。」

「(森)可成と(池田)恒興は、犬山城の守備をしながら烏峰城を攻略するのだ。」

「儂は、ここで報告を待っている。 そして何かあれば、儂ら本隊が救援にいく。」

「では、準備が出来次第、各自出陣するのだ。」

重臣たち
「はっ!」

数日後、城の攻略に成功したという最初の報せが信長の元に届きました。

その武将の名は、木下藤吉郎(羽柴秀吉)です。

織田信長
「あのサルめ、本当に一番乗りで城を攻略したな。」

木下藤吉郎は、必ず自分が一番初めに城を攻略しますと信長に宣言してから出陣して
いたのでした。

森可成と池田恒興の隊も出陣までの準備に時間が掛かってしまいます。
しかし、烏峰城に到着すると城内の兵が全て逃げてしまったため、戦わずして城を手に入れたのでした。

丹羽長秀、佐々成政の隊による猿啄城攻略は、相手の抵抗が激しく苦しい戦いとなりましたが落城させました。

調略・風評作戦
城を次々と攻略した織田軍。

休む間もなく、次の目標である加茂野方面へ侵攻したのでした。

加茂野方面の関城、堂洞城、加治田城の城主は、連合して織田軍を迎えるはずでした。

しかし、加治田城主の佐藤忠能が織田軍に寝返ったことで、中美濃を速い段階で手に入れることが出来たのです。

美濃の分断に成功した織田信長は、
「美濃・斎藤家が弱体したことを知った武田が攻め込んでくるらしい。」

「東美濃も織田方に寝返った。」

「西美濃でも次々と織田方に寝返っているみたいだ。」

など間者たちをつかって噂を流したのでした。

竹中半兵衛の件もあったので、悪い噂は一気に広がりだして美濃国内は混乱となりました。

そして、この成果は直ぐに現れます。

西美濃の大垣城周辺を支配していた斎藤家の重臣である美濃三人衆が、織田に下りたいと言ってきたのです。

美濃の本拠地である稲葉山城までの障害がなくなったことで、美濃を確実に手に入れる機会が訪れた織田信長。

稲葉山城攻め
1567年8月
総勢2万の織田軍が稲葉山城の周辺に各隊にわかれて着陣します。

軍隊の構成は、信長本隊が8千、丹羽長秀隊が3千、柴田勝家隊が3千、中美濃から森・池田隊が4千、そして美濃三人衆の隊が2千でした。

対する稲葉山城には、1万の斎藤軍が籠っていましたが、織田の大軍を目の前にすると明らかに士気が下がっているのがわかりました。

織田信長
「これより稲葉山城を総攻めする!」

「勝家と美濃三人衆は、東から齋藤軍を蹴散らしてしまえ。」

「長秀は、南から攻めて瑞龍寺山を攻略したら、(木下)藤吉郎らの案内で尾根伝いに進軍して、稲葉山を攻めろ。」

「城内の様子を探らせたが、兵糧の備蓄もほとんどなく、(斎藤)龍興も信頼されていないから士気が落ちて統制もとれていないとのことだ。」

「我らが有利と言っても油断は禁物だ。 いつもの戦と同じく心してかかれ!」

重臣たち
「おーっ!」

織田軍による激しい総攻撃が開始されると、士気の落ちていた斎藤軍の前線は、あっという間に破れてしまいました。

各方面から稲葉山城の本丸を目指して攻撃が開始されると、自分の命の危険を悟った斎藤龍興は、僅かな供と隠れるようにして伊勢へ逃亡したのです。」

父の代から悲願であった稲葉山城(美濃)を攻略した織田信長。

織田信長
「稲葉山城は儂のものとなった。」

「これで悲願であった美濃を織田が征圧した。」

「皆の者、かちどきを上げろ!」

「えい、えい、おー! えい、えい、おー!」

まとめ

墨俣一夜城
美濃平定戦では、木下藤吉郎(羽柴秀吉)の奇策による墨俣一夜城の話が有名です。

木下藤吉郎と蜂須賀小六たちが、長良川の上流の山林から切り出した材木を筏(いかだ)にして流し、稲葉山城近くの墨俣に一夜城を築きます。

この城を築いたことで、稲葉山城攻略に大きく貢献したという木下藤吉郎(羽柴秀吉)の出世物語です。

しかし、この話は作り話だったのです。

この美濃平定戦には4年の歳月でしたが、父・信秀の時から考えると非常に長い年月がかかったと言えます。

織田信長は、本拠地を小牧山城から稲葉山城に移し、城を豪華に大改築します。

そして城の名を岐阜城と改名しました。

また、美濃を平定したことで信長の中に次の野望が芽生え始めました。

信長は、この頃から「天下布武」という印判を使用するようになります。

天下統一という大きな野望に向かって本気で歩み始めたのでした。

(寄稿)まさざね君

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