日本の死刑の歴史「絞首刑とは」

皆様、こんにちは。
昨今、世界各国にて死刑存廃問題の議論が為されており、死刑廃止が大多数を占めている状況です。
その中で日本は、世界でも少数派である死刑存置派の国であり、最近では2021年に3人の死刑が執行されています。
現在の日本の処刑法は絞首刑であり、尚且つその命令は法務大臣の専権事項であり、死刑囚の首にロープをかけ、わっかを作り、顔には目隠しをされます。
そして別室にいる複数の刑務官が死刑執行のボタンを押すことにより、死刑囚のいる場所の床が開き、身体は落下し、そこに事前にいる刑務官の手により死刑囚の身体が受け止められ、医師の死亡確認がされることにより、刑は終わります。
刑は日本各地にある拘置所で執行されます。
これが日本の死刑の現状ですが、今回はそんな日本における死刑の中でも絞首刑の歴史についてご紹介して参ります。
日本における最古の絞首刑というのは、正確には分かっておりませんが古くは飛鳥時代の斉明天皇4年(658)に斉明天皇に謀反を企てた咎にて斉明天皇の甥である有間皇子(ありまのみこ)が現在の和歌山県海南市の藤白坂にて絞首刑に処されております。
ちなみに、この処刑直前に詠んだ2首の和歌が万葉集に掲載されているのでもし宜しければそちらをご覧になり、思いを馳せてみて下さい。
それから時代は下り、8世紀になると日本初の本格的な法典である大宝律令、その後に発布された養老律令では五刑のうちの一つの死罪の中に斬刑と一緒に絞として一括りにされています。
その後は、基本的に日本においての死罪というのは空白期間を挟み、斬首がメインになってくるのですが、絞首刑が公式の処刑方法として復活したのが明治維新以後になります。
明治3年(1870)に新律綱領が発布され、それまでの斬首に変わり、絞首刑がメインになることが広く知らされました。
これには、欧米列強の諸国が斬首や切腹の残酷さに遺憾の意を示したため、明治政府がそれに遠慮したので絞首刑に変更になったと言われています。
ですが、発布からしばらく経った明治5年(1872)11月28日に現在の愛媛県である石鐵県にてある一人の死刑囚の絞首刑を執行した後、親族が遺骸を引き取ったしばらく後に蘇生してしまうという珍事が起きたためにその翌年の明治6年(1873)2月20日に絞首刑のやり方が正式に定められた絞罪器械図式(こうざいきかいずしき)が発布され、現在も有効な法として機能しています。
その後は、死刑囚の蘇生というのは起こらず、有名人では、大逆事件によって死刑判決を受けた幸徳秋水ら、虎ノ門事件の難波大助、東京裁判により死刑判決を受けた東条英機、広田弘毅、武藤章、土肥原賢二、板垣征四郎、松井石根、木村兵太郎のA級戦犯などが絞首刑が基本的な処刑方法として現在に至るまで執行されています。
この絞首刑を調べていくうちに、近代の日本の歴史がよく見えてくるのがまた何とも言えません。
今回もご覧下さり、ありがとうございました。
それでは次回もお楽しみに。
お相手はリストクラッチ式ショーイチでした。

(寄稿)リストクラッチ式ショーイチ

日本の死刑の歴史~磔刑(たっけい)編~

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