「ジャイアントキリング」についての歴史雑感~今年のWBCを観て思い至ったこと
昨年と今年2023年のスポーツ界では、相手チームよりパワーや技術に劣り格下とされているチームが、強力なチームを撃破する「番狂わせ」、いわゆる『ジャイアントキリング(英訳:Giant-killingまたは Upset)』が世界中を賑わせまし...
昨年と今年2023年のスポーツ界では、相手チームよりパワーや技術に劣り格下とされているチームが、強力なチームを撃破する「番狂わせ」、いわゆる『ジャイアントキリング(英訳:Giant-killingまたは Upset)』が世界中を賑わせまし...
天下の覇者として君臨した織田信長が、配下の明智光秀による謀反、本能寺の変(1582年)で横死した直後、中国経略に従事していた羽柴秀吉が畿内へ取って返し、山崎合戦(いわゆる天王山決戦)で逆臣・光秀を滅ぼしたことにより、それまで織田氏麾下の一...
日本の12世紀後半、後進地帯であった関東地方(坂東)に興った東国武士団が、平氏追討、対京都朝廷戦の承久の乱(1221年)の勝利者となり、約700年に及ぶ長期武士政権の礎を築いた「時代改革の尖兵」であったことは疑う余地がない史実ではあります...
平安末期から鎌倉期(12世紀後半、中世初期)にかけて、当時坂東(或いは東夷)と呼ばれていた関東地方、特に相模・伊豆・武蔵、房総半島一帯など南関東各地に割拠していた東国武士団たちが、軍事貴族出身である源頼朝を代弁者/棟梁として推し立てること...