カテゴリー: 戦国寄稿

本多重次の解説~目上にも物申す鬼作左の戦国武将

本多重次とは徳川家臣には、家臣の誰よりも気性が荒く、豪快な人物がいました。その人物は本多重次(ほんだ-しげつぐ)。あまりの気性の荒さや徳川家康にも平気で物申す態度と武勇から「鬼作左」と呼ばれていました。そんな今回は、重次の生涯と性格にまつわ...

織田信長が優れた経済感覚を持てた理由

戦国一、というより日本史上の英雄というべき人物は、『織田信長(1534年~1582年)』であることは皆様よくご存知の通りでございます。我々現代人が、その信長に惹かれる理由として挙げられるのは、それまでの一般的な既成概念には囚われず、合理的と...

織田信長は戦国最強の革命児なのか??

織田信長は革命児である。大体の人間がそのように異口同音述べているのである。確かに一般人や歴史学に関わらない学者のなかではそのような評価であるが、歴史学界では現在信長=革命者という図式は崩壊しつつある。今回の記事では、歴史学界では何故信長は革...

織田信長と戦国の貨幣経済

織田信長は、自領内で革新的な経済政策を行なったことで知られています。今回は戦国時代の貨幣経済を織田信長の領国運営に照らしながら考察していきたいと思います。室町期の貨幣流通室町期に流通していた貨幣は、主に中国、当時の明から流入していた永楽通宝...

織田信長 天下布武の足掛かりとなった美濃平定戦

美濃平定作戦1547年長年にわたって対立していた尾張と美濃は、信長と帰蝶(濃姫)の婚姻によって和睦を結び、一時の平和が訪れたのでした。しかし、1556年に美濃の斎藤道三が「長良川の戦い」で息子・義龍(よしたつ)に討ち取られてしまったことで、...