「ジャイアントキリング」についての歴史雑感~今年のWBCを観て思い至ったこと
昨年と今年2023年のスポーツ界では、相手チームよりパワーや技術に劣り格下とされているチームが、強力なチームを撃破する「番狂わせ」、いわゆる『ジャイアントキリング(英訳:Giant-killingまたは Upset)』が世界中を賑わせまし...
昨年と今年2023年のスポーツ界では、相手チームよりパワーや技術に劣り格下とされているチームが、強力なチームを撃破する「番狂わせ」、いわゆる『ジャイアントキリング(英訳:Giant-killingまたは Upset)』が世界中を賑わせまし...
先日、気分転換で筆者の姉が旅行のお土産(確か箱根旅行)で買って来てくれた『江戸(嘉永)時代 大名紋章城郭図』(発行元:望月アート企画室)を眺めていました。 こういう余暇が何とも楽しい一時でもあるものですが、上記の代物は、日本地図の中に、北...
今回は筑後国(福岡県)の岩屋城について、全3回にわたって回想してみたいと思います。 岩屋城は筑前国の四宝寺山の中腹約280mにあった山城です。現在でいうと福岡県太宰府市観世音寺にありました。ご存じの通り、太宰府は7世紀に地方行政機関として設...
粟之巣の変は、戦国時代に伊達輝宗が宮森城で畠山義継に拉致され、粟の巣(二本松市平石高田)にて2人とも射殺された事件。この粟之巣の変を解説する。小手森城の撫で斬りによって、伊達家新当主の印象と裏切り行為を徹底的に処分するということを周囲の大名...
本多重次とは徳川家臣には、家臣の誰よりも気性が荒く、豪快な人物がいました。その人物は本多重次(ほんだ-しげつぐ)。あまりの気性の荒さや徳川家康にも平気で物申す態度と武勇から「鬼作左」と呼ばれていました。そんな今回は、重次の生涯と性格にまつわ...
天王寺砦の戦い織田軍に包囲された石山本願寺で籠城戦を続ける宗主・顕如。槙島城の戦いで織田信長に敗れ、京を追放されて中国地方の大大名・毛利輝元の庇護を受けている将軍・足利義昭。最大の敵が、織田信長だという点で共通していました。そんな足利義昭は...
織田信長は、自領内で革新的な経済政策を行なったことで知られています。今回は戦国時代の貨幣経済を織田信長の領国運営に照らしながら考察していきたいと思います。室町期の貨幣流通室町期に流通していた貨幣は、主に中国、当時の明から流入していた永楽通宝...
美濃平定作戦1547年長年にわたって対立していた尾張と美濃は、信長と帰蝶(濃姫)の婚姻によって和睦を結び、一時の平和が訪れたのでした。しかし、1556年に美濃の斎藤道三が「長良川の戦い」で息子・義龍(よしたつ)に討ち取られてしまったことで、...
尾張一国(愛知県西部)のみを制していた戦国大名・織田信長(1534~1582)が、戦国期を代表する群雄、次いで天下の覇者へ向けて急成長する一歩が、1567年に美濃国(岐阜県南部)を制圧したことであります。 現在でも名古屋市(尾張)は、中部...
以前の記事で、武田信玄・上杉謙信・毛利元就など稀代の戦国大名が、代々続く「本拠地移転=居城(各勢力の政治経済・軍事における中心地)」を移転しなかった組織的や経済的などの理由について、筆者の雑感で書き連ねさせて頂き終わってしまいましたが、今...