タグ: 戦国知識

江戸幕藩体制を著した日本地図を見た拙者の歴史雑感「下剋上/新時代の開拓者」について思うこと

 先日、気分転換で筆者の姉が旅行のお土産(確か箱根旅行)で買って来てくれた『江戸(嘉永)時代 大名紋章城郭図』(発行元:望月アート企画室)を眺めていました。 こういう余暇が何とも楽しい一時でもあるものですが、上記の代物は、日本地図の中に、北...

回想・岩屋城(1)高橋紹運の徹底抗戦への強い覚悟

今回は筑後国(福岡県)の岩屋城について、全3回にわたって回想してみたいと思います。 岩屋城は筑前国の四宝寺山の中腹約280mにあった山城です。現在でいうと福岡県太宰府市観世音寺にありました。ご存じの通り、太宰府は7世紀に地方行政機関として設...

本多重次の解説~目上にも物申す鬼作左の戦国武将

本多重次とは徳川家臣には、家臣の誰よりも気性が荒く、豪快な人物がいました。その人物は本多重次(ほんだ-しげつぐ)。あまりの気性の荒さや徳川家康にも平気で物申す態度と武勇から「鬼作左」と呼ばれていました。そんな今回は、重次の生涯と性格にまつわ...

織田信長と戦国の貨幣経済

織田信長は、自領内で革新的な経済政策を行なったことで知られています。今回は戦国時代の貨幣経済を織田信長の領国運営に照らしながら考察していきたいと思います。室町期の貨幣流通室町期に流通していた貨幣は、主に中国、当時の明から流入していた永楽通宝...

織田信長 天下布武の足掛かりとなった美濃平定戦

美濃平定作戦1547年長年にわたって対立していた尾張と美濃は、信長と帰蝶(濃姫)の婚姻によって和睦を結び、一時の平和が訪れたのでした。しかし、1556年に美濃の斎藤道三が「長良川の戦い」で息子・義龍(よしたつ)に討ち取られてしまったことで、...